categories

archives

ブログ村

釜石や遠野、岩手県の情報を発信するブログがたくさん!ポチッと♪にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 釜石情報へ
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 遠野情報へ
にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 岩手情報へ

はっぴぃの本棚

はっぴぃPDF

はっぴぃのバックナンバー等PDFデータでご紹介します。 http://happykamaishi.seesaa.net/

毎日更新!星占い

access

ブログパーツUL5

「はっぴぃ」から三陸の今を発信する情報誌「Re-born」へ

 ご無沙汰しておりました。
震災前、タウン情報誌はっぴぃを発刊していましたが、震災後一時期とても「はっぴぃ」な気持ちになれず、取材はしたものの発行出来ずにいました。
だからと言って「unhappy」ともまた違うこの感覚をどう説明したらいいのやら。

なかなか前へ進めないことへの苛立ち、焦り、追い打ちをかけるような体調不良。
時々夜中におこる、ほんとにどうしようもない、大槌へ帰りたい、元の街に、生活に戻して欲しいという心の叫び。
それをなかなか吐けずに鬱積させた結果の生活の乱れ。。。

そうしているうち、「もう、私に出来るのは情報発信しかないのではないか、しかもはっぴぃのような内容ではなく、一般の、普通の方々の今の状況を発信していかなければ被災地は復興したと勘違いされていくばかりではないか」と本当に漠然とではありますが思い立ち、仲間と「三陸の今を発信する情報誌 Re-born」(サイト http://office-r311.com/ FB http://www.facebook.com/reborn2011311) を昨年9月から発行し、釜石市に全戸配布してきました。
最初は資金のあてがなく、今年の3月までは「緊急雇用創出事業」を利用してきましたが、「税金」「補助金」に頼ることで自立が疎かになるのではないかとの考え、また釜石市以外の情報も広くいろんな切り口で発信したいとの思いから、独立し有料化の情報誌を発行することに決めました。

震災後1年以上経ち、もともと一括りに出来なかった被災状況はますます多様になり、時間が経つごとに「温度差」という言葉では片付けられない、無関心でいると復興など一向に進まない状況にあると危惧しています。
また、遠方の方からは「何を支援したらいいのかわからない」というような声も聞かれます。

まずは「知る」こと。
個々の被災状況を100パーセント理解することは不可能かと思われますし、怖いのは一部の情報のみ切り取り「知っている」気になってしまうこと。だから細やかな正確な情報が必要と思うのです。
そして被災された方、大事な人を亡くされた方は「どうせわかってもらえない」という気持ち(私もまだまだ時々そう思うことがあります)を少しずつほぐしわかってもらえるよう話してみること、がこれからの真の復興に必要なのではないかと考えています。
辛いですけど。。。忘れられたら楽、と思う反面あの大槌の町並みを忘れたくないと無理に思い出して無性に帰りたくなり、亡くなった親戚や知人に会いたくなったりして泣きますし。。。こういう思いはなかなか言い出せないものです。


新聞等にRe-bornのことが掲載され「頑張ってるね!」と言われますが、私もやさぐれる時はやさぐれますし、いいことがあると自然に笑顔になったりします。
いつも笑顔でいる必要もないし、「これは違うのではないか?」と違和感を感じたら怒ってもいい、そう思います。
悲しければ泣いてもいい、と。

一人でも多くの方に私たちの情報誌を読んでいただきたく思っています。
新しくリニューアルするRe-bornに関しては下記にお問い合わせ下さい。
定期購読のお申し込みも出来ます。

Office R
〒026-0045  岩手県釜石市小川町1丁目3−19
電話・ファックス 0193-55-4806
E-mail   r.2011311@gmail.com

この辺りは一雨ごとに新緑が鮮やかになって行くとてもいい季節(お天気が気まぐれですが。。。)になってきました。
被災したお店も仮設店舗等で再開しています。
そして半島半島の美しいリアス式海岸ならではの景色をぜひ見に来て頂きたい。
被災状況だけではなく、「来て見て楽しんでいただける」ような情報も掲載していきます。
よろしくお願いいたします。



フォトライフ写真展と浅野幸悦さんのこと

 フォトライフ写真展
〜釜石市大町ふじたや(化粧品店)裏、第一美工さんアトリエにて開催です。
11月19日〜23日まで



このフォトライフ写真展には私も毎年出品していた。
が今年はどうしても写真を撮る気になれず・・・

メンバーの方で被災した人も、また亡くなった方もいて、毎年開催されているシープラザ2階はまだ市役所の窓口になっていて展示が出来ない。
今年はどうなるのか?開催するんだべが?出来るべが?との声もメンバーの中でも聞かれた。
しかし、メンバーの一人で、被災した釜石市の看板店「第一美工」の多田さんが借りたビルのアトリエで開催することとなった。


この写真展は、私の師匠でもある写真家の浅野幸悦さんが10数年前に始めたもの。
浅野さんは日本大学芸術学部写真学科を卒業し、都内・海外で主に様々な広告用写真を撮っていたが家庭の事情で帰郷、それからは釜石の酒蔵「浜千鳥」の蔵、蔵人、その風景の写真で有名であり、またライフワークとして三陸の「漁火」を撮影していた。
3年前の9月に、病気で亡くなったが、私はその数ヶ月前まで彼と仕事をしていた。
一時退院の時に「写真はやはり浅野さんのでなければ嫌です」と、治療中の体調が優れなかったにもかかわらず、無理に大船渡へ撮影に連れ立ったのを思い出す。。。

今、この釜石、また被災地で浅野さんならどんな写真を撮るのだろうか、と時々考える。
叙情的な中にも、それを壊さない、邪魔しない程度の事実・真実を認識させる「何か」を彼ならきっと撮って伝えていくだろうと思うと本当に彼の死が悔やまれて仕方ない。
今だからこそ叱られながらでも、一緒に仕事をしたかった、と思う。

写真を見れば、その人の今の心がわかる、と言った浅野さん。
綺麗に撮ろうとするな、そこの壁を乗り越えないと伝わる写真は撮れない、と。

フォトライフにわたしが初めて出した写真は、何気ない日常の一こま。
出品するつもりもなく、ただ何気なく撮った家族のスナップ。
それを「実にいい写真だ、これはいい、これ出しなさい」と言ってくれた。

DSCF0298.jpg

この写真を見るたび、浅野さんが何を言いたかったのか分かる気がする。
そして来年は写真展に出します、きっと。


3月10日のこと

 あの震災から8ヶ月ですね。

仕事で「3月11日、あのときどこにいてどうしましたか?」とよくきくのだけれども、聞くうち聞くうち、その前日の10日って実は何気ない日常でもう「貴重な思い出となった津波前最後の日」のような気がして、最近一生懸命思い出してたりした。

3月10日でよく覚えているのは、かめやまのケーキをたくさんもらったってことだった。
通勤用の車を停めるため駐車場を借りていたのだが、そこが結構変な形の駐車場で大きい車が駐車するには大変そうだった。私の隣を借りていたのは市役所の人。
車を停める際に私の車に少しこすってしまい、「修理が必要なら弁償する」と言ってきた。
数センチの傷がついていたがもう10万キロ近く走っていてそろそろ買い換えようかなと思っていたので「別に何もいらない」と言ったら夕方職場にケーキを持ってきてくれた。

その日は夫が夜勤でいなかった。
夕方実家に息子を迎えに行き、アパートに帰り夕飯の後、二人でケーキを食べた。
ツイートしようと、ケーキの写真まで撮った。まだ携帯に残っている。
息子は色とりどりのケーキに目をキラキラさせて興奮気味だった。
私は欲張って二つ食べた。
それでもまだたくさん余っていて「残りはあしたお父さんと三人で食べようね♪」と、アパートの寒い廊下の食品棚に置いておいた。

息子が寝てから「最近ブログのねたに困るな、何を書こうか。。。」と悩んでいたら急にお腹が痛くなり。。。w
「ああ、欲張って二つも食べたから・・・」と夜中トイレに駆け込んだw

その頃私は仕事でとても悩んでいた。
バカらしい足の引っ張り合い、中傷、お客さんとの微妙な駆け引き、一部の人間がPCを使うのを拒否し進まないIT化、このままでいいのかしらん、ととても宙ぶらりんな状態で毎日それでもぬるま湯のなあなあな生活を送っていた。
まあ、なんとなくこのまま生きていれば別に幸せなんじゃないか、と。
毎日めいることばかり続いていたが、命をとられるほどではない、と。

しかし次の日、そんな私ののんきでぐうたらな、しかし幸せな生活は一変した。
5日も家族の安否がわからない状態、その後の原始的な生活、その後は先日ブログに書いたとおりだ。

津波の後、ほんとなんだりかんだりあって、今も身辺がごちゃごちゃしている。
ようやく落ち着きつつあるのだけれど。
「幸せか?」と問われればまだ疑問符がつく。
あの震災前の生活に戻りたい衝動にも駆られる。
しかし、あの3月10日より「生きてる」実感があるのは確かだ。


祭りといえば母の味

昔はね、あんまり興味もなく楽しいのは夜店だけだと思っていた大槌祭り。
しかしこっちへ帰ってきてからその面白さ、奥の深さに魅せられ毎年友達を呼んでは大槌祭りを見せてた。
しかしあの大槌の人達の祭りにかける思いと情熱ったら。。。
大昔、友達と某所で飲んでたら、奥の座敷で喧嘩が始まったんだ。
座敷のふすまが飛んでくるくらいの勢いで、「なんだ?」と思ったら伝統芸能の某団体が踊り方かなんかで仲間と口論になったらしいんだな。
そのくらい祭りに対して「まじめ」

毎年お盆を過ぎると、あちこちで祭りの練習が始まり、9月も半ばになると気分がだんだん高揚してくる。
だんだんと町が祭りムード一色になっていく。

祭りで私が思い出すのは母の煮しめの味。
震災前は大槌の実家の近くに住んでいた私だが、父から「嫁に行ったものが簡単に実家の敷居をまたぐな」といわれていたため、子供の面倒を見てもらうため送り迎えをする程度であまり実家に入り浸ったことがない。

しかし祭りの日は特別だ。
母は結婚してからもずっと働いていたので、私は子供の頃週末しか母の料理を食べた記憶がない。
しかし母は勘のいい女で、一度料理を覚えると簡単にいろんなバリエーションを作ってしまうという技を持っていて感心したもんだ。
私は残念ながらその遺伝子を引き継いではいないが。
そんなわけで祭りの楽しみといえば、私にとっては母の料理を存分に食べられること、とくに煮しめをね。

私の両親は震災後、大槌にいつ仮設住宅が建つかわからないと早々に花巻に行ってしまった。
そして今も花巻にアパートを借りて住んでいる。
別段それを悲しいとか寂しいとか思ったことはほとんどない。
しかし、この時期になると無性に恋しいぞ、母の味。
今から電話でもして「煮しめ作ってきてよ!」と言いたくなるほど(笑い)

今年は大槌祭りは「復興チャリティー大槌祭り」という形で25日に寺野のふれあい運動公園で行われることとなった。
どうやら神社の役員らしきものをしている父も来るらしい。もちろん母も?
今年はうろ覚えで覚えた母の煮しめの味をまねして私が煮しめを作ってみようか。
お世辞というものを絶対言わない父を「うまい!」とうならせてみようか(笑い)

私は君に「ありがとう」って言う

 あなたには今回のような台風の中、危険を顧みず結構な距離を走ってでも会いたい友達っているか?

私にはいる。

今日の夕方大雨の中、宮古まで車をとばした。
今日しか私には会える時間がなかった。
そして、そこの良い子の皆さんは決して私のような真似をしてはいけない。

彼とは今年の2月に初めて会い、「同級生」というシンクロでノルウェイの森やら吉祥寺やら映画やら音楽やら本やらフリーペーパーやらで妙に意気投合し(私だけがそう思ったのか?!)めったに会う事がなくても「同士」みたいな感覚で常に気にかけていた存在だ。

震災後、一時やさぐれ気味の時期に彼から同じようなヤサグれたメールがきたのを今でもはっきりと思い出す。
「私だけじゃないんだ、こんな思いしているのは」とそのとき元気にどうしてもなれなかった自分に、なんと前向きな、椎名林檎的に言うと「正しい傷の舐め合い」が出来たメール交換だっただろう。ぶっちゃけ「救われた」わけだ。

街中にあふれる「がんばろう」「負けない」という文字が嫌でも飛び込んで来たあの頃。
今だから言うが、私はこれらの言葉に嫌悪感でいっぱいだったのだ。

「がんばろう?何を?負けない?何に?」こんな気持ちでいっぱいだった。

彼も全く同じ気持ちだったらしい。

同じ思いをしている人が一人でもいるとわかると、急に元気が出て来てうずうずと動きたくなった感覚を私は忘れない。

そんな彼が仲間とフリーペーパーを発刊したと聞いたのはお盆あたりだったか。
110921_203626.jpg

メッセージボードつきポートレートで有名な東京グラフィティが愛読書という彼は「ずっとこれがやりたかったんだよ」と言ってた。
今回のテーマは「ありがとう」
このペーパー、いろんなところで大人気だそうで5000部刷っても足りなく、今増刷中だそうだ。
一枚一枚の写真がすべて組み合わさってのアート、という素晴らしさ。
ポスターでも全然いける。

110921_203539.jpg

そして、彼はささやかな抵抗でまだスマホにしてないあたりも私とおんなじかもしれない。
いい男なので顔を写したかったのだが、駄目だしくらった(笑)
そして今日も彼との話は刺激満載でしたね、あの語呂合わせはめっさ笑った、涙出たよ(笑)

サンチャゴさんよぉ、来年早々40歳で初めてパパになるらしいから心臓には気をつけてなぁ。もう若くないんだから(爆)
お祝いはサッカーボールでいいかね?(笑)
そして息子さん(生まれてくる子は男の子らしい)と一緒に十字架山登ったアカツキにはフリーペーパーと動画で紹介してくれ(笑)
で、大人のお子様ランチを一緒に食べるんだ(笑)



拝啓 師匠様

「40までには答えを出しなさいよ」

今でもあなたのこの言葉を覚えています。
40になった今年の2月の誕生日にもこの言葉を思い出し、「ああ、不惑と言っても答えなんて出せませんよ」と半ば自棄になっていた私をあなたはどんな顔で空から見ていたでしょう。

そして釜石に春の訪れが見え始めたころ、あの震災が起きました。

そいういえば、あの時計、一度も着けないままどこかへ行ってしまいました。
もったいなくて着けられませんでした。
きっと3時25分頃の時刻を刻んだまま、海に流れてしまったのでしょう。
まだまだその時刻で私の心は止まったままではないかと思うことがあります。


私は今、あなたが生前リフォームした事務所で仕事をしています。
「こまさまが来たら美味しいパスタを作ってあげるよ!」と笑っていたときはもう死期を感じていたのかもしれませんね。
そして一人で事務所にいるとボーっと考えます。

あなたなら今の釜石をどう撮りますか。
あなたなら今の釜石で何を訴えていきますか。
そして・・・いくらそちらで寂しかったからと言って、奥様まで連れて行ったのは酷ではありませんか?

まだ答えは出ていません。
これから少しずつ出して行きます。

お元気で、また書きます。

私の隠れ家 タウンホール

DVC00495.jpg


この階段を上がるのは何ヶ月ぶりでしょうか。

ここは釜石は青葉通りにある「タウンホール」、昨日再開したばかり
何を隠そう私の「隠れ家」

マスターは震災後からずっと再開をすると強く思っていたみたい。
うれしい。

ここに来ると「違う自分」というやつになれる気がして。。。
四十路になったのに現実逃避に走るお馬鹿な女と笑う人は笑えばいい。

前にも書いたが女だって一人で呑みたい店のひとつや二つはあるだろう。
特に私のように家庭も子供もある人は特にも、たとえそれがお酒を飲むところでなくたって「一人の贅沢な時間」がないといろいろ辛くなりそうだ。

私がカウンターに座るとやさしいマスターは照明を少し落としてくれる。(はい、ここ笑うとこじゃないよ!!!)

そしてマスターが丁寧に入れてくれたコーヒー、またはアルコールを飲むのは私にとって至福のひと時。


震災後、しばらく着るものがなく、中学校以来ジャージで出歩いた。
ジャージを着る駒林さんって今しか見られないかも!などと笑われても全然平気だった。
とにかく自分のなりふりもかまわず物資があると聞けば知人親戚と飛んでいき、自分がまぎれもなく「女」だというのを別の意味で気づいてしまい、それをうんと恥ずかしいと思ったこともある。
化粧をしだしたのは震災から1ヵ月後だったか。。。

少しずつ身の回りの状況が落ち着くと今度は夜痛烈なパニックに襲われ、昼は出歩くのも嫌になり、大槌に行くとたびたび取り乱すことも。

ぶっちゃけまだまだ心身ともにまともな状態ではない。
しかし、ある一線は越えたと思う。


そしてタウンホールの再開でまた私は少し元気になった。

再び私が不良主婦と呼ばれる日が近くなった。
それこそが健康な私の証拠だから、そんな憎まれ口も喜んで聞こう(笑)


ごぶさたしてました

 ごぶさたしてました。。。みなさまいかがお過ごしでしょうか。。。

さて、はっぴぃを6月末に発行する予定でおりましたが、私も1号も思うところあり発行を見合わせることとなりました。
取材に応じてくださった方々、本当に申し訳ございません。

実のところ私自身ここ2ヶ月あまり、とても「はっぴぃ」な気持ちになれない日々が続き、記事も書けない状態でした。
さらに古くからの友人に「情報発信はパワーがないと出来ないよね」みたいなことを言われ、「なるほどな」と。
ずっとパワーどころか、ものすごい躁鬱の激しさ、大槌の変わり果てた姿を見ると時々おこるパニック、これの繰り返しでどうにもならない状態でいました。

今はじょじょに回復しつつあります^^
震災前に勤めていた会社はやめ、独り立ちすることにもなりました。

最近、震災前によく行っていたお店が再開などしてとてもうれしく思います。
8月にはあの私の大事な隠れ家の「タウンホール」さんも再開するとか♪
マスターに会うのがとても楽しみです。

そして、大槌の何もなくなった風景も今は現実の日常とやっととらえられるまでになりました。
大槌の復興へ真摯に取り組む方々とも出会い、貴重な体験もしております。

ブログは可能な限り続けたいと思っています。
みなさまにも別の形でお会いできることを楽しみにしています。
これからもよろしくお願いいたします^^

やっぱ私の☆☆☆☆☆レストラン〜釜石市ポワッソンブランさん再開〜

 なんだか久々のブログ投稿になってしまいました^^;

今日はシープラザかまいしへ行ってきました。
というのも、私がずっと行きつけだったお店が再開したから。
(シープラザかまいしは6月20日から1階のお店が営業を再開しています。)

ポワッソン・ブランといえば、おわかりの方も多いでしょう。
私が息子が生まれる前から通いつめている洋食屋さんです♪
今日はお昼を食べてからいきましたのでコーヒーだけいただきましたが、それはそれは素敵なことが待っていました。

110621_151515.jpg
ポワッソンブランの奥さんは、私の息子を自分の息子のようにかわいがってくれる人。
息子の写真を撮ると、「これ欲しい!」などど言ってくれてそのたびにプリントして持っていったものです。

お店にいくと、開口一発「あなたに渡したいものがあったのよ!!!」と。
なんだろうと思ったら。。。

思い出の品は津波ですべて流された私には最高の贈り物。
懐かしい大槌の風景やら実家やらで撮った写真の数々。。。

震災直後、釜石市大渡町の変わり果てた街角でポワッソンブランの旦那様にお会いしたとき、「必ず再開するので大好きなハンバーグカレーを食べに来てね!」といわれた私たち親子。
近いうち息子とお邪魔させていただきます。

そしてとっても素敵なサプライズをありがとう、また通いつめますね♪



※私、大槌の「まごころ広場うすざわ」で週2回ほどお手伝いさせていただいてます。
まごころ広場うすざわのブログもよろしくお願いいたします。
http://otuchihiroba.jugem.jp/


スカートはいていいですか?いや、はくよ私は

ここ一ヶ月位気分の↑↓激しく体調もイマイチ、おまけに滅多にひかない風邪までひいたときた。
私ってこんなに体も気持ちもナイーブだった?
アルコール消毒が足りないんじゃね?とかココソコから聞こえてきそうだけど、アルコールだけじゃないんだな(笑)


私は大切な人を失った訳でもなく、長く不便な避難所生活を送っている訳でもなく、ま、大槌の家や町は流されそれを時々思うことはあるけども…
あるブログでね、命があっただけでもって読んだんだけど、本当にそう思うけど。



しかしだ

私も女だ。


今まで感じてた、震災前に当たり前にしてきたことをする罪悪感ナニコレって、私こんなことしていいの?ねえいいの?

自分で勝手に自分を縛り上げるほど私はMじゃないからさ、はくよ、ヒラヒラのスカート。
着るよ、スケスケの服、塗るよ、可愛いあんよの爪にペディキュア。
そして整体の先生に禁止されてた7センチヒールも解禁だ。


そしてもう一度人生に恋するんだ(笑)

| 1/27PAGES | >>